リョウメンスクナ
- 分類
- 禁忌・呪具譚
- 初出
- 2005年9月21日 2ちゃんねる オカルト板 「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」系スレ、レス452〜515
- 伝承地
- 岩手県 作中設定。本ページでは詳細な地域比定は行わない
- モチーフ
- 呪具・禁忌・供犠・異形・穢れ・実況怪談・ヒトコワ・PC不調・蠱毒
あらすじ
解体業に携わる投稿者が、東北の古い寺の取り壊しに入った。すでに使われていない寺である。
本堂の奥、締め切られた部屋から、長さ二メートルほどの黒ずんだ木箱が出てきた。表には古い紙が貼られ、もう読めない字が並んでいる。かろうじて拾えたのは、大正のある年、ある呪法をもって「両面スクナ」を封じた、という趣旨の文言だった。箱は釘で打ちつけられていた。
管理業者を通じて元の住職に問い合わせると、返ってきたのは強い制止だった。絶対に開けるな。自分が引き取る。
だがその夜、事情を知らない作業員が面白半分に箱を開けた。翌朝、彼らは放心したまま口をきかなくなっていた。
箱の中には、両腕を構えた人間のミイラがあった。頭が二つ。腕は左右に二本ずつ。脚だけが通常どおり二本だった。
駆けつけた元住職は激昂した。開けたのか、開けたらしまいだ、と。京都のある寺へ送るよう息子に命じていたはずだが、それが果たされていなかったらしい。住職は現場の者に読経と祓いを施し、木箱を車に積んで去った。別れ際の言葉は、あんたら長生きできない、というものだった。
その後、箱を開けた者のうち一人が病室で急死し、一人は精神を病んで移送された。作業員にも高熱で倒れる者が続いた。
後日、投稿者は元住職の息子から電話で由来を聞く。
大正期、見世物小屋に売られていた結合双生児の子どもがいた。生活に窮した親が人買いに渡したのだという。その子を、外法のみを用いるという教団の教祖が買い取った。物部天獄と名乗る男である。
天獄は、買い集めた者たちを地下の一室に閉じ込めた。壺に毒虫を入れて争わせ、最後に残った一匹を呪力とする蠱毒——それを、人間で行ったのだという。最初から双生児が残るよう仕組まれていた。生き残った子は別室に移され、そのまま餓死させられ、防腐処理を施されて即身仏とされた。
その腹には、粉にした古代人の骨が詰められた。朝廷に滅ぼされた者たち、正史の側から見れば逆賊にあたる人々の骨である。
呪いの対象は、国家であった。
大正期に相次いだ災害は、いずれもこの呪物が移された土地で起きたのだと息子は語った。そして大正十二年九月一日、関東大震災の直前、天獄は呪物の前で自らの喉を切って死んでいる。血で書かれた遺書には、日本滅ブベシ、とあった。
呪物がその後どのような経路で東北の寺に納められたのかは、語られなかった。ただ、それを引き取った元住職とは、以来連絡がつかないという。
注釈
洒落怖については嘘か真かの議論はせず、すべて真実であったと”仮定”する。
一 恐怖は共同作業で色濃くなる
投稿は二〇〇五年九月二十一日の夕方に始まり、翌日未明まで八時間以上にわたって続いた。書き手のIDは途中で二度変わっている。パソコンの電源が突然落ちた、と本人が書いているためだ。語ること自体が妨害される——きさらぎ駅をはじめとする実況型の怪談が繰り返し用いてきた装置が、ここでも働いている。
しかし、注目すべきは、その八時間のあいだに何が起きたかである。
最初の三本(レス452・453・459)で、投稿者は現場で見たものだけを語っている。黒い木箱。貼られた紙に「大正??年??七月??ノ呪法ヲモッテ、両面スクナヲ???二封ズ」と書かれていたこと。頭が二つあるミイラの形状。そして激昂した元住職の「リョウメンスクナ様」という呼び名について。ここまでで、日本書紀に現れる両面宿儺への言及は、一つもない。
名はあった。だが、それが何者を指すのかは、誰も知らなかった。
この洒落怖が一段と味わい深くなるのは、初投稿から約二時間後である。まったく別の書き手が現れ、レス476・477で漫画『宗像教授伝奇考』の内容を紹介した。そこには、スクナ族と呼ばれる渡来の人々が製鉄を伝えたという説、大和朝廷に追われて飛騨へ落ちのびたという筋、そして『日本書紀』が飛騨のスクナを怪物として記し討伐したと書いていること——が並んでいた。
ここでようやく、箱に書かれていた名が古代の何を指すのかが、読者の側から供給された。
そして投稿者が続報を書くのは、さらに四時間後の深夜である。元住職の息子から聞いたという由来話のなかで、ようやくミイラの名の説明が現れる。二つの顔と四本の手を持つ怪物の伝説にちなんで、そう呼ぶことにしたのだ、と。
この箇所に、投稿者は自分で注記を添えている。476の書き手ほど詳しい説明はなかった、と。
つまりこの物語は、読者から与えられた詳細を取り込むことでスノーボール式に話の密度を高めている。体験談として始まったものが、スレ民との共同作業によって神話に接続された。両面宿儺という古代への接続は、投稿者の手柄ではない。あの晩、あのスレッドを読んでいた誰かが持ち込んだものである。
ただし、スレ民を巻き込み投稿に肉付けさせていくためには、恐怖の伝播と伝導率を高める最初の投稿がやはり重要である。オカルト板の住人であるという自負を刺激させ、知識を補強してもらえるような投稿である必要がある。
洒落怖が異質な雰囲気を纏い漂わせるのは、こういう事態が起こりうるからだ。話は投稿された瞬間に完成するのではない。読まれ、注釈され、補われながら、数時間のうちに粘度と厚みを増していく。私たちが「リョウメンスクナ」として知っている洒落怖とは、共同作業の産物だ。
二 呪術として見た宿儺
この話には日本の呪術観のモチーフが異様な密度で詰まっている。
作り方は蠱毒である。壺に毒虫を入れて共食いさせ、最後に残った一匹を呪力の源とする呪法。この話では、それを人間で行ったと語る。虫を人に置き換えるという発想は、蠱毒という語がもともと持っていた恐ろしさを、そのまま拡大させている。
仕上げは即身仏だが、ここでは手続きそのものが裏返っている。本来は僧が生きたまま入定し、みずからの意志で仏となる行である。それを、意志を奪ったうえで強いる。自ら進んでなるはずのものを、無理やりにされる。
作法を裏返して意味を反転させる手つきは、民俗の側にも逆さ事として存在する。日常の作法を一つずつ裏返して、日常の外側を作る手つきである。そこに生まれるのは死者の領域とは限らない。神の仮宿もまた、同じやり方で作られる。この物語がしているのも同じことだ。聖化の手続きを丸ごと裏返して、呪いの手続きに仕立てている。
これらを束ねる枠組みが「外法」だ。作中で教祖は、邪教とされている真言立川流が可愛く思えるほどの外法しか使わない男として紹介される。外法とは仏法の外にある術、すなわち正統ならざる呪術を指す語で、外法箱の項で見たとおり、近世の巫女が実際に用いた呪具の名でもあった。架空の呪物を語るときに、実在した呪術語彙が正確に選ばれている。
この洒落怖が、こうした呪術観をすんなり受け入れるオカルト板への書き込みでなかったら、きっとサーバーに漂うたった数KBの散文の一つだっただろう。
三 誰が呪物にされるのか
コトリバコの一章で、呪具は何かを差し出すことで成る、と書いた。この物語も同じ文法に立っている。
コトリバコに詰められたのは間引かれた子であった。リョウメンスクナにされたのは、売られた子である。どちらも、共同体が抱えきれずに手放した存在だ。呪物は、人によって切り捨てられた人から作られる。
コトリバコの章でも人身御供について触れた。
古来から伝わる人身御供も、思想の根っこは同じだ。命を断つ、身を切る、犠牲にすることで効力を得る。一章にて触れた供犠の思想は世界中に散らばっている。人間は何かを失う代わりに、何かを得ることができると信じている。宗教的かつ呪術的な、超自然と人との相互性でありギブアンドテイク。その過程に命が挟まれば、神聖の格は上がる。
因習系と呼ばれる怪談の多くが、この構造を共有している。恐ろしさの源泉とは超自然そのものではなく、人が人に対して行った仕打ちから滲み出る。だからこそ、怖い。
同時に、ここはこの系統の危うさでもある。実在した差別の記憶を、恐怖の燃料として使っている。 廣田龍平は、映画『樹海村』がコトリバコを扱う際に、元の話にあった差別の歴史を採用しなかったことを指摘している。恐怖のために安易に差別を用いることへの、近年の忌避の表れである。
辞典としては、この構造そのものを記述の対象とする。物語がどこから恐怖を汲んでいるかを明らかにすることは、その汲み方を肯定することとは違う。
四 まつろわぬ民は、また朝敵となる
この呪力の中心にあるのは、外法で作られたミイラの存在ではなく、おそらく腹に詰められた骨のほうである。
朝廷に滅ぼされた古代人の骨。正史とされる側から見れば逆賊とされる人々の遺骨を粉にして、宿儺の名を持つ呪物の腹に納める。呪いの対象は日本国家である。
教祖の名にも注意したい。物部は、古代に仏教受容をめぐって蘇我氏と争い、敗れた氏族の名である。滅ぼされた側、記録から退場させられた側の名だ。名づけの時点で、この教団もまた敗れた者の側に置かれている。
つまりリョウメンスクナという呪物は、正史に討たれた者たちの怨みを集めて、正史の後継者へと返す装置。
両面宿儺の項で見たとおり、『日本書紀』は宿儺を異形として描き討伐を正当化した。皇命に従わなかった者から人の形を奪う——それが記紀の文法である。
この物語は、その文法を逆手に取っている。宿儺の名を冠すが故に逆賊の遺骨を宿させたのか、逆賊の怨念を宿すが故に、宿儺の異形を為したのか、彼らの計画の萌芽は測りかねる。人の形を奪われた者たちの骨を集め、同じく人の形を奪われた者の腹に詰め、奪った側へ差し向ける。前節で見たとおり、記紀との接続は読者が持ち込んだものだった。 誰か一人が設計したのではない。それぞれの持ち寄りで、結果として書紀から一貫した構造を組み上げてしまった。
さらに踏み込めば、これは御霊信仰の骨格でもある。政争に敗れて非業に死んだ者が、天変地異を起こすと信じられてきた。 疫病や飢饉や地震に、討たれた者の名を与えて説明する文法である。この物語が大正期の災害を呪物の移動と結びつけ、関東大震災の直前に教祖を死なせるのは、それを近代に移したものにほかならない。
そして最後に、この物語がしたことを見ておきたい。
作中で、その子には名前がない。生まれた土地も、親の名も語られない。売られ、閉じ込められ、餓死させられ、防腐処理を施されたあとで、古代の怪物の名を与えられる。
書紀が宿儺から人の形を奪ったのと同様に、この物語では一人の人間から人間性を奪い、そこに宿儺という異形を被せている。 千三百年を隔てて、同じことが二度行われた。一度目は正史の筆によって、二度目は掲示板の筆によって。
そして、三度目がある。
一章で見たとおり、箱に書かれた名が何者を指すのかを教えたのは、無名の読者だった。意味を与えるのは、いつも語り手ではなく受け手ではないだろうか。 あの晩、スレッドを開いていた不特定多数がタイムトンネルを開き、話は意味を持ち、射干玉のように黒くなり、コールタールのように耳朶へとへばりつく。
いま、この項を読み終えたあなたも、その一人となる。想像したそのミイラを「リョウメンスクナ」として記憶したとき、薄く、しかし確実にこの洒落怖は信憑性を増す。
この話から辿る
このページは終点ではなく、網の結び目である。気になった糸を引くこと。
- 名の由来を辿る — 記紀に記された異形 両面宿儺 へ。討たれた者が、在地では菩薩として祀られている。
- 呪物の系譜を辿る — 間引かれた子を封じた コトリバコ、髪を納めた 髪が入った箱 へ。
- 外法を辿る — 実在した呪具 外法箱 へ。架空の呪物が借りた語彙の出どころ。
- 裏返しの作法を辿る — 日常の作法を反転させて日常の外を作る 逆さ事 へ。神の宿も死者の領域も、同じ手つきで作られる。
- 実況という形式を辿る — 語りながら異変が起きる きさらぎ駅 へ。
出典
原話は二〇〇五年九月二十一日から二十二日にかけて、2ちゃんねるオカルト板の洒落怖系スレッドへ投稿されたもの(レス452〜515)。本ページの再話および投稿順の分析は、レス番号とIDを保存した過去ログを参照した。http://blog.livedoor.jp/inferunity/archives/4103576.html
レス476・477で紹介された、スクナ族をめぐる説の出典は、星野之宣『宗像教授伝奇考』とされる。本ページは同レスの記述内容を、投稿順を示すために参照したものであり、漫画本体の内容を検証したものではない。
『日本書紀』巻第十一、仁徳天皇六十五年条。両面宿儺の姿に関する記述は、同条による。
廣田龍平『ネット怪談の民俗学』ハヤカワ新書、2024年。コトリバコが決定づけた因習系怪談の系譜、実況という形式の指摘、および映画『樹海村』が差別的歴史を採用しなかった点の指摘は、同書による。