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真言立川流

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邪教・外法

真言立川流(しんごんたちかわりゅう)とは、真言密教の一派とされ、中世に邪教として排斥された流派である。怪談や創作においては、「外法」——仏法の外にある術——の代表例として参照される。

語誌

平安時代末期、左大臣阿闍梨と称された仁寛に始まると伝えられる。立河流とも書き、その名は武蔵国立川の地名に由来するとされる。十四世紀半ばには、その教えと実践が卑猥にすぎるとして、邪教の烙印を押されることになった。

排斥の理由として挙げられるのは二点である。

ひとつは、即身成仏——生きたまま仏となること——を、男女の交わりによって達成できるとした点。空海以来の正統な密教が、事相と教相を両輪として厳しい修行の果てに置いた目標を、性の秘儀によって代替するという主張である。

もうひとつが、髑髏を本尊とする作法である。本尊大頭作成法と呼ばれた。野ざらしにされた死者の頭蓋を選び、行者が男女の交わりによって得た体液を、八年にわたって塗り重ねる。やがて髑髏は生気を帯び、声を発し、ついには言葉を語り出すという。本尊に用いる髑髏は死体遺棄場から得るもののほか、千人分の頭骨を粉にしたもの、修行者のもの、国王や大臣のもの、父母のものなど、十種ほどに分類されたとされる。

記録したのは、批判した側である

ここに、この流派をめぐる最大の問題がある。

髑髏本尊の作法を詳細に伝えているのは、文永九年(一二七二)に誓願房心定が著した『受法用心集』である。そしてこの書物は、立川流を批判し、排斥するために書かれたものであった。

つまり、私たちが立川流について知っていることの多くは、それを邪教と断じた側の筆による記述に依っている。中から出た記録ではなく、外から下された告発によって、その姿は伝わっている。

同じ構造は、この辞典のほかの項でも繰り返し現れる。『日本書紀』が両面宿儺を異形の凶賊として記したこと。飛騨の代官がその開山伝承を仏徒の愚昧と斥けたこと。敗れた側、退けられた側の記録は、勝った側の筆で残る。

⚠近年の研究には、心定が批判した髑髏本尊の実践者と、仁寛に始まる立川流とを同一視することへの疑義もあるという。両者が別系統であったとすれば、「邪教・立川流」という像そのものが、批判の過程で組み上げられた可能性が出てくる。この点は要確認事項として記しておく。

怪談での用法

怪談において立川流は、外法の基準点として機能する。

リョウメンスクナでは、呪物を作った教祖について、立川流が邪教だと叩かれたのが生易しく思えるほどの外法しか使わない男だ、と紹介される。ここで立川流は、それ自体が恐ろしいものとしてではなく、恐ろしさを測る目盛りとして置かれている。日本の呪術史において最も卑猥で最も忌まれたものを引き合いに出し、それを超えると宣言することで、架空の教団に規模を与えている。

実在した邪教の名を借りて、架空の邪教に格を与える。外法箱の項で見たとおり、ネット怪談は架空の呪物を語るときにも、実在する呪術語彙を正確に選んでいる。

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出典

真鍋俊照『邪教・立川流』ちくま学芸文庫(マ19-1)、筑摩書房、2002年、ISBN978-4-480-08703-4。立川流の成立、髑髏本尊法の内容、および心定『受法用心集』に関する記述は、いずれも同書による。『受法用心集』の本文は同書からの再引用であり、原典にあたったものではない。

類話

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