忌
- モチーフ
- 禁忌・穢れ・境界
忌(いみ)とは、触れてはならないものを避け、あるいはそれに近づくために身を慎むことをいう。日本の禁忌は、ほぼすべてこの一語に集まる。
一つの語が、両端に立ち分れている
柳田國男は『禁忌習俗語彙』の序で、この語の奇妙さを指摘している。
祭りの屋で焚かれる忌火は、極度に清浄なものである。ところが忌屋の火は、それに交わることが穢れとして避けられる。同じ字が、最も聖なる火と、最も触れてはならない火の両方に付いている。
忌を守る者の法則にも二種類ある。外から憚って近づかないもの。そして内にあって警戒し、忌でないものをすべて排除しようとするもの。遠ざかる忌と、囲い込む忌である。
柳田はここに疑問を置く。これほど両端に分かれているなら、もともと一つの語で処理しようとするはずがない。以前はもっと感覚が近く、その間に筋道の立った連絡があったのではないか。
そして彼は、外国の学者が言うタブーに日本の物忌をそのまま当てはめることを拒む。日本人自身が、忌がどう変遷したかをまだ知らないからだ、と。序の日付は昭和十三年、一九三八年である。
この問いは、今も解かれていない。
忌が二つに割れた記録
字のうえで分裂が起きた瞬間は、史料に残っている。
延暦二十二年、西暦八〇三年の三月。右京の人、正六位上・忌部宿禰濱成らが、忌部の氏を改めて斎部とすることを許された。同じ「いんべ」の音のまま、忌の字を斎の字に替えたのである。
興味深いのは、その直後の記事だ。同じ紙面で、遣唐使として大唐へ渡る一行の名が挙がる。そこには斎部宿禰濱成とある。改姓を許された記事と、改姓後の名が、隣り合って載っている。
宮廷の祭祀を担う氏族が、なぜ忌の字を捨てたのか。史料はその理由を語らない。だが忌の字に不吉が寄りはじめていたことを、この改姓は示している。清浄を担う側は斎へ、避けるべき側は忌へ。一つの語が、字のうえで割れていく。
忌の十の顔
『禁忌習俗語彙』は、集めた禁忌を十の章に分けている。この目次自体が、日本の禁忌の見取り図になる。
まず、忌そのものの性質をめぐる四章がある。忌の状態、忌を守る法、忌の終り、忌の害。
そして、何を忌むかによる六章。土地の忌、物の忌、忌まるる行為、忌まるる日時、忌まるる方角、忌詞。
この分類が示しているのは、禁忌が単なる禁止の一覧ではないということだ。忌には入口と出口があり、守るための作法があり、破れば結果がある。 場所も、物も、行為も、時刻も、方角も、言葉さえも忌の対象になる。
怪談や創作で禁忌を設計するとき、この六つの軸は使える。何を禁じるかによって、恐怖の質が変わる。場所の忌は行けない話になり、日時の忌は待つ話になり、言葉の忌は言えない話になる。
そして忘れてはならないのが、性質の四章のほうである。とくに忌の終り。
忌には終わりがある
忌明け、精進あけ、忌が晴れる——日本の禁忌は、多くが期限つきである。三日、七日、四十九日、百日。時が過ぎ、定められた作法を踏めば、忌は解ける。
これは禁忌の設計として重要な点だ。永久に触れてはならないものより、いつまで触れてはならないかが定まっているもののほうが多い。 そして期限があるということは、期限を待たずに触れるという違反が成立するということでもある。
逆さ事で見たように、忌の作法には日常をわざと裏返す形が多い。それは日常のなかでうっかり犯さないよう、動作を不自然にしておく工夫だと柳田は見る。禁忌は、破られないように設計されている。 だから破られたときの落差が大きい。
なぜ忌むのか
ここが最も誤解されやすい。汚いから避けるのではない。
文化人類学者の波平恵美子は、日本のケガレ観を分析してこう述べる。ケガレはそれ自体が恐ろしいというよりも、それがケやハレの場へ持ち込まれることが恐ろしいのだ、と。
死は忌まれる。だが死者を弔う儀礼では、参加者はむしろ積極的にケガレへ近づく。産も忌まれる。だが産神は祀られる。忌まれるものが、場所と手続きさえ正しければ、聖なるものに転じる。
最も鮮やかな例が、漁村で漂着した水死体をエビス神として祀る信仰である。最も強い死のケガレを帯びたはずのものが、豊漁をもたらす縁起物として迎えられる。波平はこれをケガレのハレへの転換と呼んだ。
つまり忌とは、線を引く技術である。あちら側とこちら側を分け、越えてはならない場所と時を定める。恐怖は、汚れそのものから生まれるのではない。あるべきでない場所に、あるべきでないものが来てしまったときに生まれる。
怪談での用法
この機構は、怪談の骨格をそのまま説明する。
コトリバコは、封じられていた箱が納屋から持ち出されたときに動きだす。リョウメンスクナは、寺の奥の密閉された部屋にあった木箱が、外で開けられたときに祟る。どちらも呪物そのものが怖いのではない。それが置かれるべき場所を離れたことが怖い。
そして両方に、開けるなという禁止が先立っている。禁止があってはじめて、破るという行為が成立する。
創作において禁忌を置くとき、確かめるべきは三点だろう。何を、どこから隔てているのか。 どうすれば解けるのか。 破ったとき何が来るのか。 柳田の十章は、この三つを分けて考えるための道具になる。
この語から辿る
出典
柳田國男『禁忌習俗事典 タブーの民俗学手帳』河出書房新社。原題『禁忌習俗語彙』は昭和十三年(一九三八年)刊、國學院大学方言研究会の協力による。忌火と忌屋の火をめぐる指摘、および物忌をタブーと同一視することへの留保は、同書序による。禁忌の十章分類も同書の構成による。
柳田國男『葬送習俗事典 死穢の民俗学手帳』河出書房新社。原題『葬送習俗語彙』は昭和十二年(一九三七年)刊、大間知篤三編。
『日本逸史』巻十二、延暦二十二年三月条。経済雑誌社編『国史大系 第六巻 日本逸史・扶桑略記』1897年、97頁。国立国会図書館デジタルコレクション(コマ56)、https://dl.ndl.go.jp/pid/991096/1/56 。忌部宿禰濱成らが忌部を改め斎部としたとする記述は、同条による。ただし同条の割注に「古記引國史云」とあり、『日本逸史』が『古記』を介して国史を引いた再引用である。
波平恵美子『ケガレ』講談社学術文庫、2009年(原本は東京堂出版、1985年)。ケガレが場を越えることこそが恐れられるという指摘、および水死体をエビス神として祀る信仰をケガレのハレへの転換とする見方は、同書による。