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GOI-001 語彙

酒呑童子

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語彙
モチーフ
鬼・童子・境界・供犠

酒呑童子(しゅてんどうじ)とは、大江山に棲んだとされる、日本でもっとも名高い鬼である。都に出ては人をさらい、酒を好んだと語られる。源頼光とその四天王に討たれた武勇譚の相手役として、御伽草子や謡曲を通じて広く知られてきた。

だが、この鬼には、退治譚だけでは説明のつかない特徴がいくつもある。名と、髪と、出自である。

語誌

「酒呑童子」のほか「酒顛童子」「酒天童子」とも表記される。柳田國男は『山の人生』において「酒顛童子」の字を用いた。

「童子」の語は、この鬼を理解する鍵になる。後述するように、これは幼さを意味する語ではない。

童子という名

大江山の鬼たちは、揃って童子の名を名乗る。酒呑童子、茨木童子、星熊童子、熊童子、虎熊童子、金熊童子。一人残らずである。

馬場あき子は、この一致に注目した。童子とは、牛飼童・小舎人童などの呼称に見られるとおり、日常的な雑役に服した階級の者を指す語である。幼児のことではない。

京都・八瀬の里には、八瀬童子と呼ばれる集団があった。牛車の登れぬ山路で輿を担ぐ役を負い、比叡山の行事にはつねに輿丁として出役した。近世には行幸の輿を舁くのが例であったという。馬場が引く柳田國男は、彼らが年老いるまで童子と呼ばれ、童子相応の風をしていたと述べている。

つまり童子とは、生涯を通じて負わされる役目の名であった。大江山の鬼が例外なく童子を名乗ったのは、彼らが比叡の童の末流であったことを示すのではないか――馬場はそう推察する。

長い髪の意味

もう一つの共通点が、髪である。

大江山の鬼たちは大童(おおわらわ)の髪であった。八瀬童子もまた、月代を剃らず、四方髪と呼ばれる肩までの長髪を近世まで保った。盗人に童髪の者が多く、<童盗人>という語さえあった。

この長髪には、風俗以上の意味がある。『日本書紀』天武天皇紀によれば、結髪の制が定められた際、巫祝の類は結髪の例に在らずとされた。二十年後に再び結髪令が出たときも、神部・斎宮宮人はこれを免れている。

神事に携わる者は、髪を結ってはならなかった。馬場は、加藤常賢による「鬼」字の解――死者の頭は長髪をもって表され、乱髪が鬼頭を示す――を重ね、こう読む。魂招びを職掌とする神人は長髪であらねばならず、寄り来る神もまた長髪と考えられた。乱髪は、死者と神の側に属する徴だったのである。

能舞台に登場する神が長髪を垂れ、神楽の神々もまた長髪であることは、この系譜に連なる。大江山の鬼が童子名を名乗り長髪であったことは、衰えた土地神の末裔が長髪を乱して比叡に奉仕したことと、無縁ではないだろう。

意外な出自

鬼の側から語られた伝承もある。

『御伽草子』の酒呑童子は、頼光への自己紹介で、自らを比叡山を代々の栖としていた者だと語る。大師坊なる者が峰に堂を建て、麓に社を祀ったため、一夜に三十余丈の楠となって奇瑞を見せたが、仏たちに責められて山を出たのだという。追われた側の言い分である。

また、越後の生まれとする伝承もある。『越後名寄』などの所伝によれば、酒呑童子は越後国西蒲原郡砂子塚、あるいは西川桜林村の出身とされる。父は戸隠山九頭竜権現への申し児で、母の胎内に十六箇月いたという。幼名を外道丸といい、美しい童であった。寺で文字を習い、侍童となるまでは、不良少年でも何でもなかったと伝えられる。

柳田國男は『山の人生』において、この意外な家庭生活を引きながら、鬼と呼ばれた者が生まれながらの悪ではなかったことを示している。

鬼とは何であったか

これらを並べると、一つの像が浮かぶ。

生涯にわたって雑役の名を負わされ、髪を結うことを許されず、神事と死者の側に属し、やがて秩序の外へ出た者たち。彼らが「鬼」と呼ばれた――そう読む道がある。異形とは身体の話であるだけでなく、身分と職掌の話でもあったのかもしれない。

馬場あき子は、王朝の繁栄の背後には、その数十倍の厚みをもって犠とされた人と生活があったと書いた。鬼を問うことは、繁栄が何を差し出して成り立ったかを問うことでもある。

この語から辿る

出典

馬場あき子『鬼の研究』ちくま文庫、1988年、ISBN 4-480-02275-9。  本文中の『日本書紀』天武天皇紀、加藤常賢による「鬼」字の解、  『御伽草子』「酒呑童子」は同書からの再引用。

柳田國男『遠野物語・山の人生』岩波文庫(青138-1)、1976年、  ISBN 978-4-00-331381-7。『山の人生』一七「鬼の子の里にも産まれしこと」。  本文中の『越後名寄』は同書からの再引用。

類話

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